2007年8月10日 (金)

《不忍池・弁天堂》上野

上野にある不忍池(しのばずのいけ)。

Rimg0119 シーズンには蓮の花が咲き、休日にはボートに乗る人で賑わう上野の行楽地ですが、ここ不忍池も上野の山に作られた「寛永寺」と時を同じくして作られました。

135歳まで天寿を全うしたという天台宗の高僧・天海僧正は、江戸の町をつくるにあたって平安京をイメージしていたようです。

Rimg0102 江戸城の鬼門にあたる東北の上野の地に、
●上野の山を比叡山に見立て、延暦寺に対抗して寛永寺を、
●京都の清水寺に見立てて、清水寺観音堂を、
●琵琶湖に見立てて不忍池を造りました。

池の中に竹生島(ちくぶしま)に似せて中之島(弁天島)を築き、琵琶湖・竹生島の宝厳寺(ほうごんじ)の大弁才天を勧請し、
弁天堂を建立しました。

Rimg0093 本堂手前、左手にある手水鉢の天井に「金竜の絵」が描かれているというので、見てみました。

え?こんな場所にそんな大事なものがあるの?

という感じです。

Rimg0096 どうでしょう、分かります?

光が反射していまひとつですが、実際に見ても、ちょっと分かりにくいです。(^_^;)

ガラスで保護している様ですが、これだけでいいの?と、少し思ってしまいました。

※ちなみに、蓮の写真は7月22日に撮ったものです。今は、どのくらい咲いているのかな?

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2007年8月 6日 (月)

《原爆の火》上野

上野の東照宮へ行ったら、ぜひとも見て欲しいものがあります。「広島・長崎の火」です。

Rimg0083 第2次世界大戦中の、1945年の8月6日に広島・9日に長崎へと投下された原子爆弾は一瞬にして多くの人の尊い命を奪いました。

世界で初めて、核兵器による都市攻撃が実際に行われたのです。

「侵略されるよりも、犠牲者は少なく抑えられた」との見解もありますがそうでしょうか・・・?

他に手はなかったのでしょうか。

Rimg0080福岡県星野村の山本達雄さんは、1945年8月6日、広島に落とされた原子爆弾によって破壊された叔父の家から、廃墟にくすぶっていた「火」を故郷に持ち帰り、始めは形見の火、恨みの火として密かに灯し続けました。

しかし、長い年月の中で、核兵器をなくし、平和を願う火として灯すようになりました。

原子爆弾が落とされた廃墟の中で、この火が実際に燃えていたのかと思うと、手を合わせ、平和を願わずにはいられませんでした。

2度と、核兵器がこの地球上で使われない事を切に願います。

*上野東照宮の拝殿を正面に見て、右手にあります。

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2007年7月27日 (金)

《摩利支天山》上野

「摩利支天」と聞いてピンときた方は、少ないかと思いますが「JR御徒町駅ホームから見えるお寺」と聞けば分かる人は多いのではないでしょうか。

一度見てみたくて行ってみました。 上野徳大寺

Rimg0129  「力」「勝利」をつかさどる守護神として、多くのスポーツ選手も、大会の前には祈願しにやってくる事もあるとの噂を聞いた事があります。

ここ徳大寺は、摩利支尊天(まりしそんてん)を祭祀し奉る場所との事。

摩利支尊天?初めて耳にしました。

調べてみると、 摩利支天は、陽炎(かげろう)を神略化した神でイノシシに乗ってすばやく移動するといわれていて、あまりの早さゆえ、実像が見えない事から、戦場での守護神として武士や忍者が厚く信仰した神のようです。

Rimg0130 日本には、3大摩利支天というのがあるそうで、それは「京都の建仁寺(けんにんじ)の塔頭(たっちゅう)禅居庵(ぜんきょあん)」「金沢の宝泉寺(ほうせんじ)」「上野の徳大寺(とくだいじ)」なんだそうです。

京都の禅居庵は、摩利支天が乗って移動するというイノシシを祀ってあるようですが、ここ上野では違います。なぜでしょう?

こちらのサイトに京都禅居庵の写真が⇒[天空仙人ワールド

金沢の宝泉寺にはないようです⇒[きまっし金沢

それぞれの寺院の宗教的なものが関係しているようです。

 (~ヘ~;)ウーン 奥が深い

「気力・体力・財力」を与え「厄を除き、福を招き、運を開く」らしいので、しっかり手を合わせて帰ってきました。

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2007年7月22日 (日)

《早朝寄席》上野

上野を歩いていたら、いいものを発見しました。

Rimg0121_7早朝寄せ500円 Σ(゚□゚(゚□゚*) ナニッー!!

今まで落語を聞くのって高いイメージがありましたが、これならいいですね。

出演する方たちは、「二つ目」と呼ばれる、前座と真打の間にあたる方々のようです。

通常だと、3000円するのにこの値段なら聞いてみたくなりますね。

Rimg0122_1 このビルに入っている「鈴本演芸場」です。

見覚えのある方も多いのでは?

場所は変われど、安政4年(1857)から続く演芸場らしいです。

*詳しくは鈴本演芸場さんの、HPで。落語風に歴史を教えてくれます。面白いです。⇒(HP

今まで、自分には縁のない場所のように感じていましたが、今度子供を連れて来てみようかな。

鈴本演芸場の場所〔地図

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2007年7月17日 (火)

《上野東照宮》上野の山⑤

上野特集第5弾。「上野東照宮」です。 

東照宮と聞いて今までは「日光」しか知りませんでした。

Rimg0025_3 日本の神(東照大権現)たる徳川家康を祀る神社のことを総称して、東照宮というのだとか。初めて知りました。(;^_^A

一時は全国に500を越える東照宮があったそうですが、明治に入って廃社や、合祀が相次ぎ、今では130社ほどになってしまったようです。

江戸では、江戸城内と浅草寺境内に東照宮境内に建てられました。

大きな鳥居をくぐって中へ進みます。

Rimg0072_1 水舎門をくぐると、200基の石燈籠と、48基の銅燈籠がずらりと並び、圧倒されます。

家康亡き後の、寛永3年(1626)上野の地に領地を与えられていた藤堂高虎は、許可を得て自分の邸内にも東照宮を造り、一般市民にも参拝させていました。が、同19年2月浅草にあった東照宮が、浅草寺からの火で燃焼したため、浅草に代わり、上野東照宮が大名諸侯の参拝の場所となったそうです。

Rimg0089_3

唐門です。

柱内外4額面には、不忍池の水を飲みに来たといわれる左甚五郎作の昇竜、降竜があしらわれています。

後光明天皇の正保3年(1646)には、正式に東照宮の官号も授けられました。

しかし、3代将軍家光は、高虎の建てた東照宮が気に入らず、社殿の全面造り替えを命じ、慶安4年(1651)4月に今の東照宮を完成させました。

唐門左手から、拝観料200円を払って中へ入ります。

拝殿です。Rimg0118_1

拝殿は日光に次ぐ大きさで、金色殿は日本には日光とここ上野だけだそうです。

日光の東照宮が、世界遺産に登録されて手厚く保護されているのに対し、ここ上野の東照宮は、上野の公園内に人目を忍んでひっそりと存在している様な印象です。

建物も、所々痛みの感じる箇所があり、もう少し保護されてもよいのでは?と思ってしまいました。

Rimg0116_1 大人200円を払えば、拝殿を間近に見られますし、拝殿の中にある家康公の遺品等も見る事が出来ます。

自分は中でも、「日本地図大鏡鏡」なるものが大変面白かったです。銅板(?)で出来た円形の日本地図なのですが、上下が逆さまに描かれていて大変興味深いです。

行った折には、ぜひとも拝殿へ入る事をお勧めします。

途中から雨が降る中の撮影となってしまい、あまりいい写真が撮れませんでした。残念。

また、天気のいい日に行ってみようと思います。

上野東照宮の場所〔地図

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2007年7月10日 (火)

《清水観音堂》上野の山④

また、上野特集に戻りました。 やっぱり、上野は歴史があって面白いです。
今回は「清水観音堂」です。

Rimg0036_2 もとは、林羅山の学問所跡だそうです。

清水観音堂は、京都清水寺の僧が清水寺に安置されていた千手観音を天海僧正に献じたことに起因し、寛永8年(1631)京都の清水寺にならい創建されました。

当初は、現在地より100mほど北の擂鉢山(すりばちやま)の上にありましたが、元禄7年にこの地へ移築され現在に至っています。

Rimg0041

京都の清水の舞台とは規模がまるで違いますが、不忍池を見下ろす事が出来ます。

実際には、草が覆い茂りすぎて、良く見えませんが・・・。

Rimg0018_1

社殿は、朱塗りのとても落ち着いた雰囲気です。

本尊にある千手観音像は、京都清水寺の義乗院春海が3代家光に献上したもので、国の重要文化財に指定を受けています。

また、観音堂内には子育て観音があり、子宝に恵まれない人が信仰すると願いが叶うと言い伝えられているそうです。

清水観音堂の場所〔地図

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追伸:以前アップした「お化け燈籠」のそばを通ったら、雑草を刈っている人がいて、大きさが良く分かりました。

Rimg0035

どうです!この大きさ!

ぉお!!

(゚ロ゚屮)屮

ぜひ、皆さまの目でお確かめ下さいませ。

\(^▽^)/

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2007年7月 6日 (金)

《花園稲荷神社》上野の山③

なんだか、シリーズ化してきた上野特集。第3弾は「花園稲荷神社」です。

え、上野はもう飽きた? まぁそう言わずお付き合い頂けたら・・・。

Rimg0019_1 上野公園から不忍池へ降りる時、、右手に見える鳥居。
今まで通り過ぎていましたが、探検です。

目にした方も多いのでは?

Rimg0021_3

真っ赤な鳥居がいくつも並んでいて、神域の入り口であると実感すると共に、だんだんと厳かな気持ちになってきます。

Rimg0024_1

緑に囲まれた社殿がありました。

小さいながらも、綺麗に手入れが行き届いていて、素敵な社殿です。

Rimg0028_2

何気なく後ろを見ると、また鳥居が?お狐さまの姿も見えます。

行ってみます。

探検家の気分です。

Rimg0030

赤い提灯がいくつも並び、ちょっと違う空気を感じます。

暗い通路が奥へと続いています。

う~ん、ちょっとどきどきする。

Rimg0036_1

こちらが、本家?のようです。

穴稲荷と説明書きがありました。正しくは「忍岡稲荷」と云い、花園神社の旧跡だそうです。
お社は、寛永の初め天海が寛永寺を建立する際に、忍ヶ岡の狐の居場所を失った事を哀れみ洞を造り、祀った事が始まりだそうです。

右手の穴がそうでしょうか?

石窟の上にあった為、穴稲荷と呼ばれていたのだとか。

商売繁盛、縁結びの神様として有名だそうです。

花園稲荷神社の場所〔地図

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気になる次回はいったいどこでしょう? (?_?) また、見にきてくれたら嬉しいです。 

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2007年7月 3日 (火)

《お化け灯篭》上野の山②

Rimg0067_3 噂には聞いていた「お化け燈籠(どうろう)」

どうろうと読むみたいです。灯篭・燈篭(とうろう)と意味は同じ様です。wekipediaで検索したら、同じページへ転送されました。

昨日の大佛パゴダの場所から、東照宮へ向かうとき、ふと草むらに目をやるとドドーン!とありました。

パッと見「で、でかい・・・。 (`0´*)」

高さは、なんと6.06mもあるそうです。

笠石の周囲は、3.63mです。

柵で囲われた草むらの中にある為、近づく事が出来ませんでした。う~ん、大きさが伝わりにくい。( ̄へ ̄|||) ウーム・・・

織田信長の武将、佐久間盛次の四男である「佐久間大膳亮勝之(さくま だいぜんのすけかつゆき)」が、東照宮に寄進した石造りの燈籠です。母は、猛将柴田勝家の姉だそうです。

同じ、勝之の寄進した「京都南禅寺」「名古屋熱田神宮」の大燈籠とともに、日本三大燈籠のひとつに数えられているそうです。

「お化け燈籠」の名前の由来については、書かれていませんでしたが、他の場所にある「お化け燈籠」と呼ばれる物については、

①常夜灯の為、お化けと間違えた(群馬県・宝積寺への路上)②他の場所から移動してきた為、夜な夜な元の場所へ帰りたくなり動き回る(川崎市・青少年の家の燈籠)

など、言い伝えがあるようです。こちら上野の燈籠に関しては①が有力なのでしょうか?

しかし、6mを越す高さがあったとなると、火を灯すのにも、苦労した事でしょうね。

最後までお読み頂きありがとうございました。

お化け燈籠の場所〔地図

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2007年7月 2日 (月)

《大仏パゴダ》上野の山

上野の山を歩いていてこんなものを見つけました。

上野の山には、桜を見に来たり、動物園へ子供と来たりと、それは幾度となく来ていますが、初めて気が付きました。

Rimg0057_1

「大仏パゴダ」と案内板にありました。「パゴダ?」なんの事だか分かりません。

「上野に大仏があった」とは、聞いた事がありましたが、これは大仏ではないですよね?とりあえず、近づいてみます。

Rimg0059_5 こちらが正面のようです。

「本尊 薬師如来」と書かれています。

説明書きによると、

御本尊:薬師瑠璃光如来

沿革:寛永八年(1631年)堀丹後守直寄公が、釈迦如来尊像を比叡山・寛永寺に建立せられ、1660年頃青銅の大仏に改鋳(かいちゅう)され、大正12年、大震災で破損の為撤去する。

とありました。

以前ここには大仏殿があったそうですが、関東大震災により大仏は破損。昭和42年に、大仏復元の一環として「薬師如来」を本尊とし、左右に「日光・月光両菩薩」を安泰するパゴダを建てたそうです。

家へ帰って調べてみると、パゴダとは、どうやらミャンマー様式の仏塔の事らしく、釈迦の住む家だとされているそうです。

正面の鉄柵の中を覗くと、その通り3体の仏像が納められていました。

パゴダの上部にある、凡字は納められている仏像と関係があるようです。

建物上部の梵字を調べていたら⇒仏様の世界というサイトに詳しく出ていました。

パゴダの変わった形にしばらく気を取られ、なにげなく後ろを振り返ってびっくり!

Rimg0061 大仏様の顔だけが! (゚O゚;アッ!

真後ろから見ていたとは!人が悪い。 人?

しばらくお尻を向けていて失礼しました・・・。

すぐ後ろにいらしたとは。

こちらのサイトに、昔の上野大仏の写真が紹介されていました。⇒在りし日の上野大仏 

震災で頭部が落ちてしまったなんて、地元の皆さんはさぞかし落胆した事でしょうね。

広い上野公園まだまだ知らない場所にがありそうで、又来るのが楽しみです。

大仏バゴダの場所〔地図

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