《原爆の火》上野
上野の東照宮へ行ったら、ぜひとも見て欲しいものがあります。「広島・長崎の火」です。
第2次世界大戦中の、1945年の8月6日に広島・9日に長崎へと投下された原子爆弾は一瞬にして多くの人の尊い命を奪いました。
世界で初めて、核兵器による都市攻撃が実際に行われたのです。
「侵略されるよりも、犠牲者は少なく抑えられた」との見解もありますがそうでしょうか・・・?
他に手はなかったのでしょうか。
福岡県星野村の山本達雄さんは、1945年8月6日、広島に落とされた原子爆弾によって破壊された叔父の家から、廃墟にくすぶっていた「火」を故郷に持ち帰り、始めは形見の火、恨みの火として密かに灯し続けました。
しかし、長い年月の中で、核兵器をなくし、平和を願う火として灯すようになりました。
原子爆弾が落とされた廃墟の中で、この火が実際に燃えていたのかと思うと、手を合わせ、平和を願わずにはいられませんでした。
2度と、核兵器がこの地球上で使われない事を切に願います。
*上野東照宮の拝殿を正面に見て、右手にあります。
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コメント
★kazuoさんコメントありがとうございます。某エライ人の発言内容と同じ事が、アメリカの小・中学校で現在も教えられていると先日ニュースで知りました。せめて娘には、正しく伝えたいと思います。
投稿: sanpopapa | 2007年8月 8日 (水) 01時40分
★ポレポレとうさんコメントありがとうございます。私も高校の修学旅行の時、長崎の原爆資料館で見た、目を覆いたくなる様な悲惨な光景が写し出されたパネルや、展示物が今でも目に焼きついています。
投稿: sanpopapa | 2007年8月 8日 (水) 01時35分
★単身赴任のYHさん、コメントありがとうございます。長崎に住んでいらっしゃったYHさんは、私以上に戦争の悲惨さを伝え聞いている事と思います。私も娘に、伝えていきたいと思います。
投稿: sanpopapa | 2007年8月 8日 (水) 01時29分
★通勤ウォーカーさんコメントありがとうございます。ここを訪れた皆が「戦争が過去のものではない」と感じて欲しいものです。
投稿: sanpopapa | 2007年8月 8日 (水) 01時24分
sanpopapaさんの仰る通りだと私も思います。広島・長崎で被爆された方々とその家族の人々にとって、今もなお後遺症と戦い、忌まわしい記憶と戦っているのですから、まだ戦後は終わってなんかいないのだと思います。そんな人々の心情を思うと、先日の某エライ人の不用意な発言には本当に憤りを感じます。
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投稿: kazuo | 2007年8月 7日 (火) 21時56分
親戚が広島にいる関係で、幼い頃から原爆資料館に連れていかれていました。この火はぜひ見に行きたいですね。
火を灯し続けているというのは、なかなかすごいことだなと思いました。
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投稿: ポレポレとうさん | 2007年8月 7日 (火) 20時54分
こんにちは。
こんな施設があったのですね。
知りませんでした。
9日は長崎原爆の日。
私も長崎に住んでいましたので、核に対する市民の感情はよく分かります。
シンミリ・・・。
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投稿: 単身赴任のYH | 2007年8月 7日 (火) 18時32分
>廃墟にくすぶっていた「火」を故郷に持ち帰り
等の行を読むと本当に手をあわさずにはいられないです!おっしゃる通りですね!
投稿: 通勤ウォーカー | 2007年8月 7日 (火) 01時26分